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火止津目
の神 鎮めのお社 源氏の正統
菱妻神社
〒612-8491 京都市伏見区久我石原町3−27
氏子祭
FESTIVAL
氏子祭について
祭の起源は非常に古く、少なくとも15世紀にはほぼ現在の形で行われていたと考えられています。500年以上もほぼ同じ形の祭が伝承されており、非常に貴重な存在です。中世には
競馬
(
かけうま
)
の他に
猿楽
(
さるがく
)
や
田楽
(
でんがく
)
などの芸能も盛んに行われ、久我の住民はもちろん近郷の者も集まり盛大を極めたと言われています。
神幸祭(御出)
神幸祭の行列「御出」
本殿よりお旅所までご神体をお移しします。
(左)神社を出発 (右)御旅所に入る
神幸祭を「
御出
(
おいで
)
」といい、かつては夜に行われていました。神主に続いて神楽の
神子
(
みこ
)
達が馬に乗ってお供をし、
神輿
(
みこし
)
の着座の時には
松明
(
たいまつ
)
を持った村の者達が、
鉢巻
(
はちま
)
き
襷掛
(
たすきが
)
けで「セジョロヤ」「マジョロヤ」とはやしたてたと言います。これは
千歳哉
(
せんざいなれや
)
、
万歳哉
(
まんざいなれや
)
と祝った祝いのことばがなまったものであろうと考えられています。
また、かつては、、
緋縮緬
(
ひちりめん
)
の
襷
(
たすき
)
を掛けて着飾った女の子が、手に手に松明を持って神輿の先行を務める「
先女郎
(
せんじょろう
)
」という所役が残されていました。
御出の先女郎の記念撮影
昭和28年の御出の日に。
女の子たちが着飾って行列に参加。
還幸祭(千種祭)
千種祭の神輿渡御 花巻の飾られた牛車
千種祭当日久我の里を巡る
その昔お供した牛車が花巻で飾られる
還幸祭は「
千種祭
(
ちくさまつり
)
」と言い、かつては牛車のお供がありました。青・黄・赤・白・紫の五色の紙で作った造花と幕で飾られた牛車に男の子が乗り、
千種の花を 手に摘みいれて
御所へ参らせ 御所へ参らせ
と歌われました。
一時は
神輿渡御
(
みこしとぎょ
)
を斎行できませんでしたが、昭和53年(1978)のお旅所新築を機に、還幸祭には牛車が飾られるとともに神輿渡御が復活され、平成元年(1989)からは立派なこども神輿もお供することになりました。
牛車に飾られた造花を「
花巻
(
はなまき
)
」と言い、祭典後に氏子や奉献者に頒かたれ、一年間の家内安全、厄除けとして戸口に祀られるならわしとなっています。
平成22年(2010)には、千種祭のお
囃子
(
はやし
)
歌を復活させようと、久我千種囃子保存会により千種祭お
囃子
教室が開かれ、多くのこどもや大人が練習に参加するようになりました。そして、平成23年(2011)5月の千種祭では、約50年ぶりにお旅所にて神輿渡御の前にお囃子の奉納がおこなわれ、また合わせて太鼓演奏の奉納も行われました。お囃子教室は今も継続して開かれています。
「新御所」を神輿が巡る 「相饗殿」での祀り
新御所(久我家隠居の邸宅)の跡地 西に広がる田に田植えの成功を祈る
近辺を巡る
「馬場殿」での神輿の巡行 「馬場殿」で神輿に供えられたお供え
馬場殿・大御所(久我家当主の邸宅)の跡地の石の周りを3回半まわって、石の上で神事が行われる
子ども神輿の渡御
久我の里の子どもたちが集いそろいの法被で神輿を担ぐ
千種祭でのお囃子歌の奉納 千種祭での太鼓の奉納
竹太鼓を打ち鳴らして 皆で交互に太鼓を打っての奉納
「千種の花を・・」と唱和
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