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火止津目の神  鎮めのお社  源氏の正統

〒612-8491 京都市伏見区久我石原町3−27

菱妻神社Q&ASHRINE Q&A

質問1 「菱妻(ひしづま)」という神社(じんじゃ)名前(なまえ)はどのような意味(いみ)ですか?

答1 もともとこの神社(じんじゃ)()てられた当時(とうじ)は「菱妻(ひしづま)」と()かずに、「火止津目(ひしづめ)」と()いていました。
火止津目(ひしづめ)」という名前(なまえ)には()()める、火事(かじ)()めて(しず)める、といった意味(いみ)があります。菱妻神社(ひしづまじんじゃ)神様(かみさま)()(しず)める(ちから)(つよ)いことから、このような名前(なまえ)()ばれてきました。また一方(いっぽう)で、この地域(ちいき)(ふる)くから鴨川(かもがわ)桂川(かつらがわ)洪水(こうずい)何度(なんど)()こりました。そこで、火事(かじ)だけでなく洪水(こうずい)(しず)めてもらおうと、1154年(久寿元年(きゅうじゅがんねん))に「菱妻(ひしづま)」という()にかえらえました。「(ひし)」は(みず)(あらわ)し、「(つま)」はそれをせき()めるという意味(いみ)があると(かんが)えられています。()(しず)めるためには(みず)使(つか)わなくてはなりません。火をあやつる神様(かみさま)は水をあやつる力も強いと考えられたのです。そして、火や水を(しず)めてくださる人々(ひとびと)生活(せいかつ)になくてはならない神様(かみさま)は、やがてあらゆる物事(ものごと)(しず)(おだ)やかにして人々を(まも)ってくださるありがたい「しずめの神様(かみさま)」として、(ひろ)信仰(しんこう)されるようになり今日(こんにち)(いた)っています。

質問2 菱妻神社(ひしづまじんじゃ)はいつできたのですか?

答2 平安時代(へいあんじだい)の1113(ねん)永久元年(えいきゅうがんねん))(旧暦(きゅうれき))2(がつ)にできました。

質問3 (だれ)()てたのですか?

答3 当時(とうじ)、「右大臣(うだいじん)」という役職(やくしょく)についていた「源雅実(みなもとのまさざね)」(久我雅実(こがまさざね)ともいう)が()てました。

質問3 源雅実(久我雅実ともいう)という人はどんな人ですか?

答3 平安時代(へいあんじだい)(なか)ごろの天皇(てんのう)であった、村上天皇(むらかみ)子供(こども)の子供の子供の子供です。(村上天皇の子供が具平親王(ともひらしんのう)、具平親王の子供が源師房(みなもとのもろふさ)、源師房の子供が源顕房(みなもとのあきふさ)、源顕房の子供が源雅実(みなもとのまさざね)です。)源雅実は右大臣(うだいじん)からさらに出世(しゅっせ)して、1122(ねん)保安(ほうあん)3年)に
太政大臣(だじょうだいじん)」という、(いま)総理大臣(そうりだいじん)のような役職(やくしょく)につきました。源雅実(みなもとのまさざね)(いえ)御所(ごしょ)(ちか)くにありましたが、久我地域一帯(こがちいきいったい)別荘(べっそう)をもっていました。別荘(べっそう)には、(ひろ)土地(とち)(おお)きな建物(たてもの)がいくつも()っていて、源雅実(みなもとのまさざね)()くなった(あと)も、その子供(こども)、さらにその子供たちが代々大切(だいだいたいせつ)にしました。そして、鎌倉時代(かまくらじだい)になると、別荘(べっそう)のあった地域(ちいき)名前(なまえ)であった「久我(こが)」を、自分(じぶん)(いえ)名字(みょうじ)とするようになり、「久我家(こがけ)」と名乗(なの)るようになりました。(いま)でも、源雅実(みなもとのまさざね)のお(はか)菱妻神社(ひしづまじんじゃ)南約(みなみやく)400m(ほど)(ところ)にあり、「御墓山(みはかやま)」と()びます。

 
ところで、久我家(こがけ)(もっとも)大切(たいせつ)にしたのが、菱妻神社(ひしづまじんじゃ)でした。中世(ちゅうせい)久我家(こがけ)公家源氏(くげげんじ)である村上源氏(むらかみげんじ)筆頭(ひっとう)で、いわゆる源氏全体(げんじぜんたい)(なか)でも統率者(とうそつしゃ)として絶大(ぜつだい)地(いち)にありました。この地位(ちい)を「源氏(げんじ)正統(せいとう)」たる「源氏長者(げんじちょうじゃ)」と()います。菱妻神社(ひしづまじんじゃ)はこの()にあった久我家(こがけ)(まも)(がみ)として(もっとも)大切(たいせつ)にしたので、「源氏(げんじ)正統(せいとう)」とも(しょう)されるのです。

質問5 神社(じんじゃ)には、いくつもの建物(たてもの)がありますが、どんな神様(かみさま)がまつられているので
    すか?

答5 主な建物(たてもの)に、(つぎ)の5つがあります。(境内図(けいだいず)のページも御覧(ごらん)ください。)
  @ 本殿(ほんでん)菱妻神社(ひしづまじんじゃ)(なか)(もっとも)中心的(ちゅうしんてき)建物(たてもの)です。奈良(なら)にある春日大社(かすがたいしゃ)
   神様
(  かみさま)
をお(うつ)ししたもので、「天児屋根命(あめのこやねのみこと)
(さま)がおまつりされています。
  A 八幡宮(はちまんぐう)京都市(きょうとし)(みなみ)にある男山(おとこやま)石清水八幡宮(いわしみずはちまんぐう)神様(かみさま)をお(うつ)ししたもの
   で、「応神天皇(おうじんてんおう)(さま)がおまつりされています。石清水八幡宮(いわしみずはちまんぐう)源氏(げんじ)(まも)(がみ)です。
   そこで、久我家(こがけ)はこの八幡宮(はちまんぐう)()てて、おまつりしたのです。

  B 虫八幡宮(むしはちまんぐう):こちらも、「応神天皇(おうじんてんのう)」様(さま)がおまつりされています。「八幡宮(はちまんぐう)」と
   「虫八幡宮(はちまんぐう)」は、(いま)から130(ねん)ほど(まえ)に、菱妻神社(ひしづまじんじゃ)から200m〜300m(はなれ)れた
   それぞれ(べつ)場所(ばしょ)から(うつ)されてきました。

  C 粟島神社(あわしまじんじゃ):「少彦名命(すくなひこなのみこと)(さま)がおまつりされています。(くすり)神様(かみさま)として有名(ゆうめい)
   で、病気(びょうき)をなおすことに霊験(れいげん)あらたかな神様(かみさま)です。

  D 具平宮(たいのみや):「具平親王(ともひらしんのう)(さま)がまつられています。村上天皇(むらかみてんのう)皇子(おうじ)で、久我家(こがけ)祖先(そせん)
   となられたお(かた)です。和歌(わか)(ふえ)演奏(えんそう)非常(ひじょう)上手(じょうず)であったと(つた)えられています。

質問6 どんなお(まつり)りが有名(ゆうめい)ですか?

答6 一年(いちねん)(あいだ)数多(かずおお)くの(まつり)(おこな)われていますが、そのなかでも「千種祭(ちくさまつり)」が(とく)   有名(  ゆうめい)です。(むかし)は4(がつ)に行われていましたが、現在(げんざい)は5(がつ)(だい)日曜日(にちようび)から(だい)日曜日(にちようび)まで
   の1週間(しゅうかん)(あいだ)(おこな)われます。第2日曜日には神輿(みこし)もでます。

質問7 千種祭(ちくさまつり)はいつから(はじ)まったお(まつり)りですか?

答7 とても(ふる)くから(つた)わるお(まつり)で、いつから(はじ)められたのか、はっきりとはわかっていませ
   ん。しかし、(すく)なくとも、(いま)から400〜500年前(ねんまえ)には、すでに現在(げんざい)とほぼ(おなじ)
   (かたち)でお(まつり)りが(おこ)われていたことがわかっています。

質問8 お神輿以外(みこしいがい)特別(とくべつ)なものはありますか?

答8 御所車(ごしょぐるま)」がよく()られています。御所車(ごしょぐるま)は、(うし)()()った(むかし)()(もの)
  (牛車(ぎっしゃ))のことで、全体(ぜんたい)()(つく)られ、(おお)きな木製(もくせい)車輪(しゃりん)がついています。(むかし)
  (うし)本当(ほんとう)()()ったのですが、現在(げんざい)お祭(まつり)()だけお旅所(たびしょ)(かざ)られます。
  御所車(ごしょぐるま)(おお)きな(まく)()りめぐらし、(たけ)と5(しき)(かみ)(つく)った造花(ぞうか)(かざ)ります。
   5(しき)(かみ)(つく)った造花(ぞうか)は、(なが)さ2m(くらい)(たけ)(さき)に、(みどり)()(あか)(しろ)(むらさき)
  5(しき)(かみ)()いて(つく)ったもので、(いろ)とりどりの(はな)(あらわ)しています。お(まつり)りが()わる
  と、この1(ぽん)(ぽん)(たけ)直径(ちょっけい)50〜60cmくらいの円状(えんじょう)にくるりと()いて、
  「花巻(はなまき)」と()ばれるお(まも)りを(つく)ります。そして、この花巻(はなまき)(いえ)玄関口(げんかんぐち)にかけておく
  風習(ふうしゅう)があります。こうしておくと、家族(かぞく)安全(あんぜん)()らせ、(わる)災害(さいがい)から(のが)れられる
  と、(ふる)くから()(つた)えられています。


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